優良塾[武庫豊町校] ブログ

2021.07.07 19:50
歴史の人物のコーナ

歴史の人物のコーナーNo.3

歴史の人物のコーナーNo.3になります。

本日は1年生1学期期末テスト範囲でも出てきたあの人になります。
そうです中大兄皇子と共に戦った名前が言いにくいあの人です。

プロフィール

中臣鎌足(藤原鎌足)
今回は大化の改新で登場する中臣鎌足を紹介させていただきます。中大兄皇子(天智天皇)の側近として陰から当時の日本を支えた人物となります。中臣氏は京都市山科区に住み祭りの担当をしていた一族になります。(私の故郷でもあります)鎌足も祭りを準備したり進行する役目でしたが中国に興味があり、勉学も好きだったので祭りではなく政治が気になり中大兄皇子と交友を持つようになります。当時好き放題暴れていた蘇我入鹿を倒し(乙巳の変)新たな体制を中大兄皇子と共に作り上げます、これが大化の改新になります。大化の改新後も白村江の戦いで中大兄皇子に助言したり、中大兄皇子が天皇に即位する際に後押しをしたのは鎌足といわれています。

このように中臣鎌足はその当時に大きな影響を与えた人物になります。
最後は中臣氏ゆかりの京都市山科区で狩りをして遊んでいた際に落馬なくなってしまいます。死の間際、天智天皇が駆け付けた際に白村江の戦いでの敗北を誤ったと記述があります。

中臣鎌足

藤原氏

中臣鎌足は死の間際功績を称え天智天皇から藤原の姓をもらい藤原鎌足となりました。この藤原の姓は平安後期まで続く藤原氏の祖先になります。鎌足の孫にあたる藤原不比等は娘を天皇に嫁がせ外戚の父として権力をつけました。当時の子育ては母方の家で育てるのが通例で、天皇と不比等の娘の間にできた時期天皇候補の子供は藤原氏のもとで育てられました。そのため言い方を悪くすれば洗脳することも可能でした。このようにして中臣鎌足の子孫藤原氏は長く天皇に使えNO.2で日本を支えてきました。
小話になるのですが藤原氏の歴史が書かれた藤氏家伝には白村江の戦いの記述はありません。白村江の戦いは負けてしまっているため藤原氏の汚点として記述されていないと推測されています。

藤原不比等

生い立ち

中臣鎌足は前述したとおり藤原氏の祖先とされていますが謎の多い人物になります。特に謎なのは生まれがなぞとされています。奈良の橿原市とする説や茨城県とする説もあります。歴史書によってさまざまな場所が記載されておりなぞに包まれています。
これらの中でも面白い説があり当時の朝鮮半島の国の王子様と同一人物ではないかとされる説があるのです。
百済の王子が日本に来ていた時期と鎌足が活躍していた時期が一致するのです。この説は否定されていますがこのように教科書で書かれていない歴史は数多くのロマンが隠されています。
これからもロマンがある歴史を解説していきます。

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