歴史裏話シリーズ(日本史編)

皆がよく知っているアノ人
こんにちは。大阪府茨木市の個別指導塾 名学館茨木星見分校の岡井です。
印籠をさっと出して、悪者たちとチャンバラの後、「スケさん、カクさん、もういいでしょう!」といえば、そう、徳川光圀こと水戸黄門ですよね。
私が小さい頃、祖父母の家に行くと決まって時代劇ドラマが流れていたのですが、よくこの水戸黄門を祖父と一緒に見ていた記憶があります。
日本史にもこの方が登場しますが、意外にドラマのイメージとは異なる一面もあったりしたとか。水戸光圀は水戸学(江戸時代の水戸藩で形成された学問)の基礎をつくったことで知られており、徳川家康のお孫さんにあたる人物。今日は彼の人物像について以下の内容で少し掘り下げてみたいと思います。どうかラク~にお読み下さい。
- 生類憐みの令<食欲
- とても好奇心旺盛な性格
- 名言の数々
生類憐みの令<食欲
水戸光圀が生きていた時代というのは、江戸幕府5代将軍 徳川綱吉が「生類憐みの令」を発布していた時代です。生類憐みの令というのは、「生きとし生けるもの全てを大切にしましょう、食べたり殺したりしたら刑罰ね」的な少しぶっとんだ法令で、法令が関係する範囲には人間、犬はもとより、鳥、魚、貝、昆虫にまで及んだと言われています。なぜこの法令が出されたのかということについてはさておき、水戸光圀はこの法令に物申したそう。相手は将軍、普通はできることではありません。
生類憐みの令など何のその、彼は牛や豚、羊の肉まで食べる、かなりの肉好きだったらしく、食に対する興味はなかなかのもので、日本ではじめてラーメンを食べた人物ともされています。ときには、自分でダシを取って他人へ振舞ったこともあるとか。そのときにダシは何を使ったのでしょうかね。
とても好奇心旺盛な性格
日頃から色々なものに興味をもっていたようで、南蛮(今でいうタイ・フィリピン・ジャワ等の南洋諸島)からの物品を好んでワインもたしなんでいたとか。何かワインを飲んでいる黄門様を想像すると、テレビドラマのイメージが崩れてしまいますね。
そのほかにも蝦夷地(今の北海道)を探検し、これまでなかったとされていた北海道を発見するきっかけとなったことでも大きな功績があると言われています。物腰穏やかなお爺ちゃんというよりもむしろ、どちらかといえば活発なイメージが強かったとさえ思えてきます。
名言の数々
「誕生日は、最も粗末な食事でいい。この日こそ、母を最も苦しめた日なのだから。」
これは水戸光圀が残した言葉だそうです。こんなんサラッと言えます?(笑)かなり人徳ある人でなければ考えつかないフレーズだと思います。水戸光圀は沢山の名言を残していますが、とにかく影響力のある人間だったようです。その影響力は将軍にまで及んでいたとか。
日本史が嫌いな方もこうした部分的な史実から興味をもち、学習に取り組むきっかけになればと思います。われわれがよくテレビで見ている黄門様は、実はフィクションで、実際とは異なる部分が多くあるようですね。ですが、それでも、多くの方に親しまれているのは、それだけ愛されるキャラクター性があったからなのかもしれません。
楽しい学習を。
本日もお読みいただきありがとうございました。